書道の世界 〜はじまり〜

 

ここでは、書道について知りたい人のために掲載しました。まず、書道を知るには「中国書道史」を知らなければなりません。そこで、これから中国書道史について基礎的な部分を勉強をしていきましょう。ではさっそく、私達日本人が普段使っている文字の由来を最初っからひもといていきましょう。
みなさんもご存知の通り文字は中国から伝わってきました。

中国は、殷、周、秦、漢、東晋、北魏、隋、唐、宋、元、明、清・・・・
というように統率する国の名前が時代とともに激しく変化してきました。

「中国3千年の歴史」っていうのもまんざらウソではないようです

殷の時代に「甲骨文字」というものがあったそうです。
その甲骨文字のおかげで殷という国の歴史があったことが証明されたわけですから
いやはや文字ってすごくエライっす。

この甲骨文字が中国で最古の文字と言われています。
亀の甲羅や獣に刻み込んでたわけですね。
主に占い師が天候などを占った結果を刻んでいたらしいです。

甲骨文字は文字というより絵に近いですね。現代の漢字よりもわかりやすいので
漢字テストも昔の方がいい点とれたかも(笑)

 

つぎは中国を支配した国「周」について少し勉強しましょう。

周は、「西周」→「東周」と国の都(今でいう首都)も名前も東から西へ移りました。
さらに東周は「春秋」時代→「戦国」時代に移りかわります。
よく言われる「春秋戦国時代」ですね。戦いまくってたんでしょうね。
「うおりゃぁぁぁ」って

殷の時代にはすでに青銅器文化時代に入っていたと言われています。
金属に文字が刻まれた時代でもあったんですね。これを「金文」といいます。
殷に続き周においても金文が多く発見されてます。
あんな硬い金属によく彫れますよねぇ。
はっ!もしかして昔の人はみんなボディビルダー・・・

またボディビルダー達は、金属だけでは満足できなかったのか
石にまで文字を彫りだしました。彫りオタクですな。
石に刻んだ文字は「石鼓文(せっこぶん)」と言われています。

紙がない時代には、動物の皮とか石とか金属に彫りまくってたんですね。
昔の人の方が文字書くの好きなんですね。
現代人はパソコンばかりやっていて、文字を書こうとしない!
けしからん!と見知らぬのおじさんがプリプリしてました。

「臨書」について
臨書というのは、昔の有名な人などの書いた書を見ながらマネしながら書く手法のことです。
臨書の中にも「形臨」「意臨」「背臨」というものがあります。
「形臨」・・・そっくり書くこと。いかに手本と同じに書けるか?
「意臨」・・・そっくりマネるのではなく、その手本の風格や、筆勢(いきおい)、
趣(おもむき)を重点にマネる書き方
「背臨」・・・手本を見ないで自分流に手本の字を書いてみる。
これは形臨をしっかりやらないで挑戦しても意味のないものになる。
単なるクセ字になってしまうので注意。

 

つぎは「秦」について勉強してみましょう。
これはおよそ紀元前200年の中国のお話・・・

秦といえば・・・・あの「秦の始皇帝」ですよね。
周の終わり頃には、国がバラバラで100以上の小国があったと言われています。

でも戦っていくうちに100あった国も7つに減りました。
その7つの内の1つが「秦」だったというわけです。
秦は地勢に恵まれたのか、この戦いで優勝しました!おめでとう!

その時の王様が「秦の始皇帝」です。この人はえらい!
だって、国をまとめただけじゃなく、いろぉんな事を統一したのです。
いわゆる「度量衡の統一」ですね。車輪のサイズまで統一しました。

そこでやっと字の話。
書体まで統一しました。その時の書体が「小篆(しょうてん)」と言われています。
それまでは字も書体もバラバラだったんですね。
書道の歴史において秦の始皇帝のやったことはかなり重要なことですね。

「漢」について勉強していきたいと思います。
漢は約400年というすごぉく長い歴史がありますから、一言では説明できないのですが、
要点を絞って説明していこうと思います。

およそ紀元前200年〜紀元後200年のお話です。

まずは、漢といえばあの有名な「項羽と劉邦」ですね。
壮絶な戦いの末、劉邦が勝利を勝ち取りました。強いぞ劉邦!
劉邦は、秦の始皇帝のような失敗を繰り返さぬよう、急激な変化を避けました。
だから失敗しなかったんですねぇ。見習おうっと。「人のフリ見て我がフリ直せ」ですね。

その後、「武帝」が史上空前の大帝国を築き上げました。それはとても大きい国でした。
また、治世が安定していました。長く続いた戦いがとりあえず治まった時期ですね。
安定しているということは、「文化」が発達します。
ここで初めて「書道」というジャンルが確立した時代と言っても過言ではないでしょう。

例えるならば、野球部とかサッカー部とかが少なくなって、
吹奏楽部とか芸術部とかが人気でてきたイメージですね。

書体の流れとしては、秦時代の小篆から古隷(これい)、八分(はっぷん)、今隷(こんれい)
、章草(しょうそう)というような流れがありました。
代表的な隷書に「曹全碑(そうぜんのひ)」があります。
隷書はとても美しく、非常に壮大なイメージがあります。
時々看板なんかにも使われています。
パソコンのフォントに入っている隷書体はインチキに見えますが・・・

後漢時代には、紙の技術の急激な普及がありました。
蔡倫という人が発見しました。
やっと字がまともに書ける紙が出来てみんなうれしかったんでしょうね。

< HOME>